香港紀行〜ブルース・リーを訪ねて

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    3月中旬に初めての香港を訪ねてきました。

     

    私は沖縄・那覇に住んでいた1974年〜1976年(1975年は沖縄海洋博覧会のあった年)の高校時代に、ちょうど、「燃えよドラゴン」が公開されたのをきっかけにブルースリーブームが起き、私もブルースの映画に何度も足を運び熱狂し、ブルースの人間と精神と哲学に多大な影響を受けて育ちました。因みに、ヌンチャクは沖縄空手が発祥で、私が住んでいた那覇のスポーツ店には、堅い木の材質の本物のヌンチャクが沢山置いてありました。今回、初の香港行きに際して、ブルースゆかりの地をいくつか訪ねようと楽しみにしていました。

     

    1、その中で、一番最初に訪れたのは1973年7月21日に取り行われた彼の葬儀が行われた九龍殯儀館でした。

    日本での映画公開時にはすでに故人となっていたブルースの絶頂時に急逝した後のデスマスクを含む葬儀のフィルムは、なんと死亡遊戯などの映画の一部に使われたり、写真が当時の雑誌に載ったり、この九龍殯儀館の形は、彼の想い出とともにずっと脳裏に残っていました。あまり縁起の良い場所ではないのですが、今、ここの近くにいるというのを思うと、この目で確認してみたい、彼の魂に近づきたいと、自然と足が向かざるを得ませんでした。実際にこの建物が目の前に現われると、その建物の形や立地が頭の中の記憶と全く同じで、懐かしいような嬉しいような...悲しいようななんとも、複雑な気分に襲われました。

     

    建物の周りをまわり、色んな角度から見てみました。ちょうど、お一方の葬儀中で白装束を召した方達が入り口に集まって忙しそうにしていました。ブルースの葬儀当日はこの周辺の通りやビルの窓や屋上に数万人の人が集まり大混乱、多くの男女警官が交通整理などに動員されたのです。

     

    ブルースの葬儀当日はこの周辺の通りやビルの窓や屋上に数万人に人が集まり大混乱、多くの男女警官が交通整理などに動員されたのです。悲しい葬儀の動画です↓。

     

     

    2、翌日、ブルースリーが晩年に住んでいた最後の邸宅跡を訪れました。

    41Cumberland Rd(九龍塘金巴倫道41号)という住所をたどっていくと、高層ビル街とはまったく違った広い邸宅や幼稚園、ホテルやお寺の並んだ道幅の広い静かで高級そうな通りたどり着きました。

    41号は、白い壁に水色の波と丸い模様の付いた、なんと、少し前までファッションホテルとして改装されて営業されていたそう。頑丈な門には頑丈な錠前が掛けられていました。ブルースが亡くなった当時のフィルムのこの家の建物(https://www.youtube.com/watch?v=lMX-uJo2h3g)と比較すると、建物自体の大きさは以前と同じですが、もホテル用にかなり改築だか改装だかを施されたのがわかります。当時、家の左奥には小さな日本庭園が再現されていましたが、それもお客用の駐車スペースになっていました。門の中は荒れていて、人の気配が全く感じられませんでした。

     

     

    この「名人酒店」の2件隣ですね。「酒店」は「ホテル」の意味。

     

    ここが41号でブルースの邸宅の場所。「羅曼HOTEL」という名前で営業されていたのか〜。

     

    ここが門です。門自体も建て替えられていますが、ここから、ブルースが「燃えよドラゴン」の撮影に朝、出勤したのだと考えると感慨深いものが・・・

     

    人の気配がまったくしませんでした。

     

    左がブルース邸宅跡の羅曼ホテルで、隣り合わせた右側は幼稚園という、世にも珍しい光景。

     

    この通りは緩やかな坂になっていて、上の方に進むと、10件位もの個人幼稚園が並んでいて、富裕層の親の外車が沢山並んでました。
    ブルースが亡くなってから44年、時間の経過を感じざるを得ませんが、確かにそこに実在した人物だったことを噛みしめて、この空間を笑いながらジョギングしていたに違いないと感慨にふけりながら、500mほどゆっくり歩いて、九龍塘駅で初めて地下鉄MTRに乗り、旺角(MONG KOK)駅に向かいました。

     

     

    3、さて、ブルースの邸宅を出て、九龍塘駅から初めて地下鉄MTRに乗って旺角駅で降り、上海街を南下し、次の目的地へ。

    ブルースが私生活で愛用し、アメリカから香港に戻り、タイでロケを敢行した主演第1作の「ドラゴン危機一発」で全編に渡って着ていた(前半は半袖、後半は長袖)高品質の肌着を作っている老舗の利工民(LEE KUNG MAN)を探しに行きました。


     

    この切符売り機でカードを買って、南へ3つ先の旺角(MONG KOK)駅へ、利工民(LEE KUNG MAN)を探しに。

    切符売り機の画面の駅名をタッチするだけで料金が表示され、カードが買えます。

     

    旺角(MONG KOK)駅で降り構内の壁にあった地図を写メして上海街を入って行くと・・・

     

    ありました。

     

    ここでブルースが着ていたのは、ヘンリーネックというボタン付きの丸首。これで、中国語が分からないと言ってボタン無しの丸首を買ってしまったりして帰国後に着て鏡を覗いてみると、中年の酔っ払ったドリフのカトちゃんのようなおっさんを見ることとなります(笑)。

    ブルースが危機一発でこれを着ていたので、その次のカンフー世代のジャッキーチェンやサモハンキンポーも利工民のこの肌着を着て映画を撮るようになり、カンフースターの定番となりました。

     

     

    細長の店内に入ると、現在のジャッキーチェンに似たメガネを掛けた60代位の店長(?)と2名の女性が中国語とカタコトの英語で説明してくれようとしましたが、そこに偶然、日本に5年間留学していて、一時帰国中の学生さんがお客さんで居合わせていて、親切にも日中の通訳を申し出てきてくれたので、スムーズに買い物が出来ました。春夏物100香港ドル、生地の厚い秋冬物110香港ドルでした。現在、1香港ドル=14.5円です。$600〜$800のらくだ色の極上の品質の物もありました。ここの下着は物凄く着心地がよく、夏の背広の下にこのヘンリーネックのシャツだけを着るツワモノもいるらしいです。春夏物をセミの絵のついた黄色い紙箱に、秋冬物は漢字の書いてある白い紙箱に入れてくれました。ホロ爺のボウタイショップで今後、これ取り扱おうかなと考えたりして。

     

     

    日本からは生まれそうにないデザインのこの紙箱に入れてくれました。

     

    少し生地の厚い秋冬物のシャツはこっちの方の紙箱に。

     

     

    4、香港文化博物館内で催されている“ブルースリー:武・芸・人生“展にも訪れました。
    タクシーで行くと、AM10時開館のところを30分も前に着いてしまったので、入り口近くに設置されている高さ3m位あるブルースの銅像の写真を撮ったり、眺めたり、横にある川に行ったりしていると、小学校3年生位の子供達が学校の社会見学なのか、先生と共にゾロゾロ集まり出して、整列し始めました。館内の12ヶ所あるらしいどの展示を見学に来たのだろうかと思っている内に、開場時間が来て、1番目に入場し、そこで初めて、入場料が無料だということを知り驚きました。さっそく、3階のお目当ての場所へ階段を上って入場。

     

    左の方にブルースがキックしているのが見えますか。

     

     

    入り口にあるブルースの流麗なサイドキックの銅像は、高さ3.5mもあり、迫力があります。

     

     

    サンフランシスコでのブルースの出生届けから始まり、香港に帰国してからの幼少時の写真、小学校時代の成績表、クラス写真やイップマンに弟子入りしクンフ―修行時代の様々な展示物や、20代初めにシアトルに移住して、自身のジークンドー道場を開設し、人種を問わず指南し、やがて、TV人気番組「グリーンホーネット」に出演したシアトル時代の武具やトレーニング機器などの展示物、30歳...に再び香港に戻り、ついに主演映画を短期間に4本製作公開し、世界的大スターとなり、1973年7月20日に急逝するまでの撮影に使用した服装や道具など、すべての時代に渡る貴重な資料と展示物を目の前にして、2時間半はあっという間に過ぎてしまいました。

     

    その日の1番目に入場して見つけたシアトル時代に使用していたジークンドー道場の印鑑や書籍を見ていると、少しして、係りのおばちゃん達が入場して来て、その手には撮影禁止のマークの入ったプラカードを持って目を光らせ始めたので、そこで初めて撮影禁止だと知ったのですが、その後、「燃えよドラゴン」の撮影でブルースが着用していたネイビーの拳法服がガラスケースのマネキンに着せて展示してあったのに出くわし、それが、後光が差して見えたので、それを撮影したかったです(泣)。因みに横に4本ナイフが縦に並んだハンの義手もありました。その内、例の見学の小学生達がちらほらこちらにも入って増えてきました。女性の先生がショーケースの中のブルースの小学校時代の成績表を一緒に見ながら、2,3人の生徒に中国語で説明していましたが、何と言っていたのでしょうか。ブルースの成績表は、優等生という訳ではなく、学科により出来不出来が大きかったようで、特に、数学が0点と記されていたのはちょっと興味を引きました。現在の小学生に取って、いったい、ブルースはどんなふうに映っているのでしょう。

    ブルースの生涯の年表も掛けてあり、その数奇な人生を歩んだ世界のスーパースターであり、武道家であり、哲学者が、40年以上前に近くの空間に本当に存在していたのだと感じて一人、感動していました。

     

    51ページあるリーフレット解説書

     

    これこれこのネイビーの拳法着です。

     

     

     

    5、ブルースリー、ジャッキーチェンも通ったという油麻地にある「太平館レストラン」でディナーを食べました。

     

     

    店内はこんな感じです。
    先客のガタイの良い赤いチェックのワークシャツを着たお洒落なチャイニーズのお爺さんとメガネを掛けた可愛い4歳位の孫娘さんら3世代の8人程の家族が楽しそうに英語で会話しながらディナーを取っていて、店内はすでに陽気な雰囲気。

     

    ワインも飲みましょう。

     

    ボリュームたっぷり牛肉乗せ平パスタ

     

    デザートに注文したこのスフレ、注文してから1時間近く経って忘れた頃に、直径30センチ位のパンパンに膨れた状態で出てきました。でっかすぎて2人ではとても食べきれないと思いながら、フォークを刺すと、側が空気で膨らんでいただけで、実際の中身はスカスカで、それ程内容量が無かったので食べきれました。ほんのりバニラ味のような上品な甘さ。ここの名物らしいです。注文したを忘れられているのではと思う程。蒸すのに時間がかかったのかな???

     

    創業1860年なので、150年以上ですね。

     

     

     

     

    初めての香港で、ブルースにゆかりのある場所を回っている内に、私は完全に40年前の高校生時代の自分に戻っていました。

    ブルース探しの旅が自分探しの旅でもあったようです。

     

    ブルースよ永遠に。

     

    posted by: HoroGino | 旅日記 | 12:11 | comments(0) | - |